西暦395年の出来事 〔出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』〕
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西暦395年の主な出来事
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4世紀の主な出来事
4世紀の初め頃から福岡県沖ノ島で盛んに祭祀が行われる(平安時代初期頃まで続いた)。 301年 - 9月3日にサンマリノが独立。 304年 - 匈奴の劉淵が大単于を自称。中国北部は五胡十六国時代の戦乱に入る。 306年 - コンスタンティヌスがガリアでローマ帝国皇帝を称す。 310年 - クチャ出身の仏図澄が洛陽に来て仏教を布教。 311年 - 中国で永嘉の乱。中国北方に異民族侵入が激化。 313年 - ローマ皇帝コンスタンティヌス1世とリキニウスがミラノ勅令でキリスト教を公認する。 316年 - 中国で西晋王朝滅亡。 317年 - 司馬睿(元帝)が東晋を建国(- 420年) 。 320年 - インドでチャンドラグプタ1世がグプタ朝を建国。 325年 - 5月20日 、第1回ニカイア公会議。ニカイア信条を採択、復活祭の日付を制定。 330年 - ローマ皇帝コンスタンティヌス1世がビュザンティオンを新首都と定める(コンスタンティノポリス)。 330年 - 前趙を滅ぼし華北の大半を併せた後趙の石勒が皇帝となる(高祖明帝)。 346年 - 朝鮮半島でツングース系夫余=徐族が馬韓を統一して百済を建国する。 350年 - アクスム王国(現在のエチオピア)がキリスト教を国教とする。 353年 - 東晋の書家王羲之が曲水の宴を蘭亭で催し『蘭亭序』を書く。 356年 - 朝鮮半島で秦の始皇帝の労役から逃亡してきた秦人達を中心に辰韓が統一され、多民族を纏め新羅が建国される。 357年 - 前燕が中原に進出する。これにより高句麗が再起する。 360年 - コンスタンティウス2世がコンスタンティノポリスに聖ソフィア大聖堂を建立。 360年 - 「背教者」ユリアヌス、ローマ皇帝に即位(在位:360年 - 363年)。 363年 - ユリアヌスがペルシア遠征中に死去。 369年 - 倭国が朝鮮半島南部に任那を建国、倭国の北限とする。 369年 - 銘文によると石上神宮に所蔵されている七支刀はこの年に作られたか。 369年 - 第287回オリンピック。記録に残る最後のオリンピック。 370年 - 前秦が前燕を滅ぼし華北を統一。 373年 - シリアのキリスト教修道僧エフレム死去。 375年 - フン族がゴート族を圧迫する。ゲルマン民族大移動の発端。 376年 - インドのグプタ朝でチャンドラグプタ2世が即位する。 376年 - 後の西ゴート人の前身となるゴート系難民集団、ローマ帝国領内に侵入を開始。 378年 - 皇帝ウァレンスがアドリアノープルの戦いで西ゴート人に敗れ戦死。 380年 - ローマ皇帝テオドシウス1世がキリスト教を国教と定める。 381年 - 第1コンスタンティノポリス公会議 - 三位一体論の定義、ニカイア・コンスタンティノポリス信条採択。 383年 - 中国で?水の戦い。東晋が前秦に勝利する。前秦は求心力を失い、以後華北は分裂する。 384年 - 慕容垂が自立し、後燕を建国。 386年 - 鮮卑の拓跋珪(道武帝)が自立し、北魏を建国。 391年 - 倭軍、渡海して百済・新羅を破り、臣民とする(高句麗広開土王碑)。 392年 - ローマがキリスト教を国教とする。 393年 - 第293回オリンピック。古代オリンピック最後の年といわれるが、記録には残っていない。 395年 - テオドシウスが死去し、ローマ帝国が東西に分割相続される(東西分裂)。ローマ人がブリタンニアより撤退。 396年 - 高句麗の談徳(広開土境好太王)、百済を攻め、その北部を領土とし、城下の誓いをさせる(広開土王碑)。 399年 - 中国の法顕が仏典を求めてインドに赴く。 399年 - 百済、3年前の誓いに背き、倭と連合して新羅に侵入したため、新羅は高句麗に援助を求める(広開土王碑)。